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段階を踏んだコミュニケーションを

お寺のことを普段、全く思い出しもしないし、興味も無い、という檀信徒は、お寺にとっては、あまり重要ではないかもしれません。
行事にも来ないし、基本的にコミュニケーションが無いわけですから。


しかし、考え方を変えれば、こうした人たちはお寺にとって、「隠れた資産」だと言えるでしょう。
確かに今は、ほとんど繋がりが無い人たちです。
しかし、今までお寺とつきあうきっかけや、お寺のことを知るきっかけが無かっただけで、きっかけさえあれば、もっと興味を持ってくれる人もいるはずです。
きっかけひとつで、「隠れた財産」が「生きた財産」に変わる可能性があるのです。


そのために必要なことは、「コミュニケーション」ということに尽きます。
コミュニケーションを通して、お寺のことを知ってもらい、仏教のことを知ってもらい、関心を持ってもらうのです。


まずそのための基本は、寺報であると言えるでしょう。
寺報のいいところは、すべての檀信徒に送ることができる、つまりすべての檀信徒とコミュニケーションすることができるというところです。
逆に寺報が無いと、お寺から送られてくるものが、年に1回の護持会費のお願いだけ、ということにもなりかねません。
ただでさえ、「お寺はお金がかかる」という誤解があるのですから。


もちろん寺報を送ったからといっても全員に読んでもらえるわけじゃありません。
しかし、読まなくても、お寺から寺報が届いたことで、お寺のことを思い出してもらえます。
寺報を送ることそのものが、「いつもあなた方のことを気にしていますよ」というメッセージなのです。


そして寺報は、どんなことでも、伝えたいことを書くことができます。
もちろん、読んでもらう、興味を持ってもらう必要がありますので、難しいことはあまり書かない方がいいでしょう。
何しろ、読者の多くは、仏教のことはほとんど知らないのですから。
簡単でわかりやすく、おもしろいものを掲載することで、まず、寺報を読んでもらうことができ、次にお寺や仏教に興味を持ってもらうことができるのです。


寺報は、お寺のコミュニケーションに絶対に必要なものですが、もちろんこれだけでは十分ではありません。


少しでも興味を持ってもらうことができたら、今度は、お寺に来るきっかけをつくってあげることです。
興味を持つようになっても、お寺はなかなか行きにくい場所です。
最近は、彼岸会などの法要の後に、コンサートとか映画会とかを行うお寺もあるようですが、これは、「きっかけをつくってあげること」に他なりません。
「彼岸会に来てください」と言っても、行ったことの無い人にとっては、「自分が行ってもいいのか?」「参加するときのしきたりがわからない」など、なかなか敷居は高いものです。
だから、何か「きっかけ」をつくってあげて、お寺に来てもらうのです。
こうしたコミュニケーションも、案外重要です。


お寺に来るようになったら、今度は、できるだけお話をする機会を増やしていきます。
行事の後に、茶話会などを開いて懇親を深めたり、帰りがけにひとりひとり声をかけたり、など直接会話をします。


ここまで来たら、もう後は、どんどん縁が深まっていくはずです。
コミュニケーションが大切なのは、みな頭でわかっていると思いますが、実際に行動するのは簡単ではありません。
最初から、大きなことをしようとせずに、地道に、できることからやっていくことが大切です。

 
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