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寺院コミュニケーションのススメ

寺院コミュニケーションとは、何のことですか?


それは、檀信徒や地域の人たちと、気持ちを通わせ、親しみを育てるためのプロセスのことを言います。
コミュニケーションがきっちりなされているお寺は、本当の意味で、活性化されているお寺と言えるでしょう。
また教化布教を行うために、最低限必要な「関係づくり」とも言えます。

宗教における「伝える」ということ

「伝える」ということは、宗教にとってとても大切なことです。「伝える」ことなしに、宗教は成立しません。
 お釈迦さまは、悟りを得た時、この尊い教えをちゃんと人に伝えることができるだろうか、と悩みました。悩みに悩んで「やっぱり無理かな」と諦めかけていた時に、梵天がやってきて、「せっかく悟ったのだから、なんとか人々に伝えていただけないか」とたのまれ、布教をすることを決意したのは有名な話です。
  この時、お釈迦さまが、教えを伝える決意をしなかったら、仏教という宗教は生まれませんでした。お釈迦さまひとりが、すばらしい悟りに境地に達しただけでは、他の人々に救済はないのです。
  宗教が生まれるためには、「すばらしい教え」に加え、「伝える」ということが絶対に必要なのです。

「伝える」ことは軽視されている

 しかし現代の仏教では、この「伝える」ということは、あまり大切にされていません。多くの僧侶は、教えを学び、修行をすることには熱心ですが、「伝える」方法についてはあまり深く考えられてません。
 確かに、「伝える」ことよりは、「すばらしい教え」を体得することのほうが大切です。しかしお釈迦さまの例を挙げるまでもなく、「すばらしい教え」は「伝える」ことが無いと、価値の無いものになってしまうのです。「すばらしい教えなのだから、何もせずとも自然に伝わる」という考えは、むしろ怠慢だと言ってもいいでしょう。

会話、文書、行事──コミュニケーションの3つの柱

 そこで「伝える」ということですが、お寺や僧侶がメッセージを「伝える」ためには、どのような方法があるのでしょうか? どのようなメディアによって、「伝える」ことができるでしょうか、と言い換えてもいいかもしれません。
 もっともポピュラーなのは、口で「伝える」、対話で「伝える」と言うことです。お釈迦さまもキリストも、布教はすべて対話を通して行っています。面と向かって話をすることで、相手には深い印象を与えることにもつながります。
  次にポピュラーなのは、「文書で伝える」ということです。仏教には万巻の教典がありますし、キリスト教にも聖書がありました。文書を利用すると、対話で伝えるよりも多くの人に「伝える」ことができます。文書で伝えたからこそ、世界的な宗教になったと言えるでしょう。
  また、儀式やイベントも「伝える」ためのメディアだと言うことができます。これらは、体験によって伝えることだと言ってもいいでしょう。儀式では、視覚・聴覚・嗅覚・触覚、そしてこうしたものを超えた宗教的感覚すべてを総動員して、仏教を感じることができます。イベントも同様です。直接的に仏教と関係の無いイベントだとしても、お寺に来てもらうことで、仏教のすばらしさやお寺の存在意義を伝えることができます。
  そして現代では、情報技術の進歩により、インターネットを通して「伝える」ということも可能になりました。一昔前は考えられないことでしたが、少し知識があれば、誰でもホームページをつくり、電子メールを送ることができます。
  現代は、「伝える」ために、様々なメディアを、手軽に利用できる時代になったのです。

情報の洪水の中で

 しかし、これだけメディアが発達してくると、情報の受け手は、情報の洪水にいつもさらされているという状況になってきます。その中で、何がいいものなのかを見極めるのは簡単なことではありません。つまり「伝える」側にとっては、情報の洪水の中で、自らの情報をどう目立たせるかということがとても重要になってくるのです。
 誰もが手軽に、いろいろなメディアを利用できるようになりましたが、その一方で、自らの情報を「印象づける」ことが難しくなってしまった、というのが現代なのです。

衰えた「伝える力」

 その上、仏教界は、これまでこうしたメディアを利用した、布教戦略を軽視してきたという現実があります。軽視だけならまだしも、戦略的にもとごとを考えたり、ノウハウを学んだりすることは、「あざといこと」とマイナスイメージのレッテルを貼る人もいます。
 仏教の「伝える力」が衰えているのは、こうしたところにも原因があるのです。
 そして言えるのは、《だからこそ、そして今こそ、『伝える』ために、工夫をすることが必要》だということなのです。

「気持ち」を伝えるコミュニケーション

 そしてひとつ付け加えたいことは、「伝える」のは、教えや情報(行事案内など)だけじゃないということです。「気持ち」も伝えなければならないのです。
 教えや情報は、宗教にとって、寺院にとって、「絶対に伝える必要がある」ものです。ただ、「絶対に伝える必要がある」ものだけでは、コミュニケーションは窮屈なものになってしまいます。
  家族の中の会話が、仏教の教えと、必要事項の報告だけという状況を想像してみてください。それは、とてもつまらない家庭です。むしろ、家庭として崩壊していると言っていいでしょう。
  家庭の中では、たわいもない、くだらない会話がたくさんなされます。内容を真剣に考えるとバカバカしくなるような話です。それは別に、情報を伝えたいから行っているわけじゃないでしょう。会話を楽しみながら、コミュニケーションをしながら、「気持ち」を伝えているのです。こうした無駄話をたくさんしているから、家族の関係が深まっていくのです。
 メディアを通して、コミュニケーションをするということは、こうした「気持ち」を伝えるということでもあります。「気持ち」が伝わっているからこそ、お互いの絆は深まっていくのです。

 
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