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認知症カフェをお寺で

 認知症カフェをご存じだろうか。
 
 認知症カフェとは、コミュニティカフェの一種で、認知症の人やその家族、認知症をケアする専門家、地域の人たちが、集まり、悩みを共有し、情報交換をするための会のことです。公共のコミュニティセンターや主催者の自宅などを会場に、ひと月から二月に一回、開催するというものが多いようです。
 
 具体的には、前述の様々な人たちが、お茶を飲みながら、それぞれの体験談を話したり、悩みを相談したりし、時には専門家によるお話しやレクレーションなどを行うこともあります。参加者は、必ず発言をしなければいけないというわけではなく、ただ他の人の話を聞くだけでもかまいません。
 
 近年、なぜ、この認知症カフェというものが注目されているのでしょうか。
 
 それは、何よりも、認知症になった人やその家族が、社会的に孤立しやすいということが理由であります。
 
 自分が認知症であること、家族が認知症であることは、まだまだオープンに話すような社会的雰囲気ではありません。そのため、本人や家族が、認知症に関する悩みを、誰にも打ち明けることができず、抱え込んでしまっていることが多いのです。
 
 もちろん、医療や介護の専門家に相談はできますが、それはあくまでも専門的なことに関してで、認知症と向き合うにあたっての気持ちの問題などは相談にはのってくれません。
 
 そうした中、この認知症カフェは、同じ悩みを抱えるもの同士が気軽な気持ちで集まり、そこに専門家や地域の方が加わることで、思いを共有しつつ、悩み解消の糸口をみつける場として、大きな可能性を持っているのです。
 
 そして、この認知症カフェだが、私は、これからの時代、お寺で行ったらいいんじゃないかと考えています。
 
 仏教は生老病死に対する悩みから生まれた宗教です。しかし現代の仏教は、「死」に対しては、それなりの活動をしていますが、「老」「病」に関しては、ほとんど何もできていません。
 
 しかも現代では「老」「病」に関する問題は極めて専門性が高くなっており、お寺がそこに関わるということは簡単ではなくなっています。しかしまず仏教者が関わるべきは、専門的なことではなく、「老」「病」に向き合う人たちの心に、どう安心をもたらすかです。
 
 その意味で、認知症カフェはお寺に相応しいプロジェクトなのです。
 認知症カフェを始めるにあたっては、必ずしも医療や介護の専門的知識が必要なわけではありません。悩んでいる人に寄り添う気持ちがあれさえすればいいのです。後は、地域にいる認知症の人たちやその家族、介護に携わる専門家などに、声をかけ、一緒にこのカフェを盛り上げていってもらえばいいのです。
 
 老病死の支援と地域コミュニティの再構築は、お寺にとって永遠のテーマです。その意味では、今後お寺が、こうした認知症カフェの拠点となっていくことを願わずにはいられません。
 
 

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