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弔い委任が開く地平

 お寺が行うエンディングサポートについて何回か書いていますが、中でも特にお寺に求められているものに、弔い委任というものがあります。
 
 弔い委任とは、死後事務委任契約という言い方もされますが、具体的には、子どものいない人などが、自分の死後に行われるはずの、葬儀や納骨、あるいは役場や金融機関、その他の様々な事務手続きを、家族でない第三者(この場合はお寺)に委任する契約のことです。
 
 例えば永代供養墓に申し込んだ人は、自分の葬儀や納骨をしてくれる家族、つまり喪主になってくれる人がいない場合が多く、その場合、どうしてもこの弔い委任が必要不可欠となります。永代供養墓の申込者だけでなく、檀家で子どものいない人などの場合も、お寺が弔い委任契約を結んでくれると安心なのですが、これまでこの取り組みに積極的なお寺はあまり多くはありませんでした。
 
 ところが近年、弔い委任に取り組むお寺も少しずつですが生まれています。そしてこうしたお寺を見ると、このテーマに取り組むことで、活動全体が質的に大きな変化をしていることを感じます。
 
 お寺と弔い委任を結びたいという人は、いつか来る自分の死を意識している人です。当然、死だけでなく、介護などの問題も意識しています。当然、自分の葬儀をしてくれる人がいないわけですから、介護なども面倒を見てくれる人がいないということになります。
 
 だから、弔い委任に取り組むということは、その人の死の前に起きること全てに関わらざるを得ないということになります。つまり、必然的に、老病死の問題に取り組むことになるのです。
 
 この稿を読んでいる読者の中には、こうした仕事は、宗教活動ではないので、僧侶のやるべき仕事じゃない、と考える人もいると思います。
 たしかにそれは一理あります。僧侶のすべきことは心のケアであり、魂のケアであります。
 
 しかし現実には、心や魂のケアだけをやろうと考えても、そうした場に僧侶が呼ばれることはほとんどありません。現代社会において僧侶は、老病死の現場から無視されています。死について関わるのも、死を迎えてからであり、死に臨んでいる場面では、僧侶の存在を思い出すことすらないのが現実です。
 
 ところが弔い委任に取り組むお寺は、ごく自然に老病死の問題に関わることになります。
 
 仏教界では近年、カウンセリング、グリーフケアといった言葉が一般的になり、研修を受ける人も増えてきました。しかし現実には、それを活かすことのできる場は驚くほど少ないというのが現実です。
 
 だからこそ、僧侶が人々といっしょに悩む場が必要なのです。
 
 弔い委任に取り組んでいるお寺が、質的に変化をしているというのは、ここに理由があります。お寺が弔い委任という仕組みを取り入れることによって、本当の意味での心のより所、魂のより所になれるのではないかと思うのです。

 
 

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