永代供養墓という言葉が、仏教界で話題になるようになって、十数年が過ぎようとしています。
永代供養墓が生まれたのは、社会の変化にともない、家族のあり方も変容し、それが供養のあり方にまで影響するようになったためです。そしてお寺の側も、それを無視できない状況になっている、というのが現実です。
一方、お寺にとっても、永代供養墓に取り組むことは、大きなパラダイムシフトを強いられることになります。もっと突っこんで言えば、「布教」についての考え方を変えなければならなくなる、ということです。
仮に「布教」=「檀信徒を増やしていくこと」とした場合、近年の寺院運営においての布教は、墓地利用者募集に負うところが極めて大きいのが現実です(もちろん例外はあります)。
しかし墓地を探している人にとっては、どこの墓地にするかの基準になるのは、まず立地、次に価格、そして境内伽藍の景観ということになります。どんなお寺なのか、どんな住職なのか、つまりお寺のソフトに関しては、その次くらいの基準となります。
だから募集代行を行う石材店が制作するチラシでも、強調されるのは、立地と価格です。お寺の活動について触れているチラシは、あまり見ることはありません。
しかし永代供養墓の場合、この基準の重要度がだいぶ入れ替わります。
まず、どんなお寺なのか、どんな住職なのかがが、もっとも重要な基準となります。次に重要なのが価格でしょう。もちろん立地も重要ですが、墓地に比べ、多少遠くでも許容範囲となります。景観も重要ではありますが、相対的に重要度は下がります。
つまり永代供養墓の募集では、お寺のソフト、即ちお寺の活動内容が問われてくるのです。「永代供養墓を選ぶ」ことは、「お寺を選ぶ」ということと同じ意味なのです。
これは、これからの時代の寺院にとって、お寺の格式や規模、あるいは伽藍といったものでなく、普段の活動そのものが重要になってくるということを意味しています。
人々に寄り添う、しっかりした活動をしているお寺が、選ばれる時代がすぐそこまできているのです。
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